戸籍を取ったり、門中の家系譜から家系図を書いていこうとしている。
うちらの場合、門中の外だから、おおかた残っていない。
もっぱら、聞き書きや個人が書いた個人史からそのカタチを辿るしかない。
母方の祖母の実家の家系図を書いて叔父に送ったら、それだったらきみにこれをあげるよと。
送っていただいた。
まだじっくりは読めていないが、大方は他と大差ない軌跡だ。
そりゃそうだろう。
明治・大正・昭和戦中戦後と人生スタイルは限られていて、みんな似たりよったりだ。
特に竹富島の場合、まったくと言っていいほどに同じだ。
大抵は、島で小学校を出て、そのあとの教育を受けるために石垣島か台湾へ行く。
台湾で生活したり、戦後戻り、八重山で教師したり島に戻って暮らすとか、
それくらいで人生の選択肢は少なかったから。
今、三つくらいの家系図がだんだん枝が分かれていくようにどんどん伸びてきている。
困るのは、絡まっちゃってるんだ。関係が。
私の書いている家系図や、聞き取りは、誰も書いてない部分だ。
それはそれまで生きていた方の手前、言えなかった本物の父親だったり、本当の出所が明らかになってきつつあるから。
門中のような立派なものをはじめとして基本的に沖縄の家系図は女性は書かない。
ので、全然つかめなくなってしまう。
沖縄返還前後あたりから書く人が出てきて、そのなかに女性が残す人が出てきた。
画像の著者は、女性で
今年に入ってからうれしいことに個人史が三冊ゲットできた。
ますます家系図は枝分かれし、その枝は伸び続けていくのが追える。
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