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2015/12/07

たぶん戦後直後の与那国島

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これは父のアルバムにあったもの。詳細は不明。
戦後の与那国島で撮られたものだと推察する。なぜ、与那国島かと思うのか? それは、竹富島で父たちが写真を写すような余裕はなかったから。父は、父の親私からすると祖父が一家を引き連れて与那国島へ渡ったのだ。この写真の場面によく似た写真や情報がつまった本がある。それは、戦前戦中戦後の与那国、沖縄で密貿易をしていた密貿易の女王夏子。この本に書かれている時期に父は与那国島の中学校へ通っていた。そうとう賑わっていたそうだ。電気が通じている時間をみはからって祖母が豆腐を作り、長女が小学校への登校前に久部良まで売りに歩いたという。祖父は、戦争が終わって帰ってきたもののろくに畑をやれないのでいつも飲みに歩いてそうだ。でもこの異常な状態は長くは続かず、あっという間にみな島を離れて行ったそうだ。本に書かれていたドル紙幣、B軍票、A軍票などの通貨の無法地帯は、父は子供だったので手にすることはなかったが、それは沖縄本島の糸満に着いてから通貨によるねじれを味わうことになる。この件についてまた資料を集めていきたいと思う。