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2015/12/03

竹富島長寿「富本達子」さん

この記事は姉妹ブログ「竹富島学習」からの移転です。
長寿県の沖縄。竹富島も長寿の島。
竹富島の高齢者センター。
裏は、百歳超えをした高齢者の記念碑と記念樹がたくさん植わっている。
富本達子さんの百歳の碑
富本家のことを書いた一族史。
上勢頭家に(童名:カンツ)生まれ、前豊見本(まえとみもと)家に嫁ぎ富本達子として生涯を過ごす。
画像は、JTAより
このおばあが、東京にしばらく居たことがあって私はお会いしたことがある。とても小柄なかわいらしい人だった
カジマヤーの祝いのときの記念に配られた。富本家は、珍しいことから発展した家である。富本達子さんは、人頭税がまだ施行されていた明治31年に生まれ平成10年(1989)に亡くなった。達子さんの生きた竹富島の時期が一番変化に富んだ時期だった。学校教育がはじまったり、人頭税が終わったので納税のスタイルが大幅に変わった。大正時代まではまだ通い婚だった。多くの人が台湾に渡り。南洋へ渡って行き。戦争に多くの人が出ていった。戦後、南洋・台湾・戦地・満州と続々と戻ってきた。そのときの竹富島はたいへんな人口密度が濃くなった。田畑から採れる作物と人口問題で、すぐに多くの人が島をあとにしていくことになる。

2014/04/02

寝たきりはいない?竹富島

竹富島に寝たきりはいない!!長寿の島だと言われている。
長寿はうそではないが、本当は寝たきりな人だらけ。
医療設備が充実していないので石垣島の病院や高齢者の施設か、子供と暮らすために島を出ていく。
親戚のおばさんがいる高齢者施設。
石垣島の八重山厚生園。ここ最高。部屋から海が見えて。べつに竹富島で死ななくてもここでもよさそう!素敵な施設。

竹富島は、いつも無医村。
竹富町史の記述にもあるとおり、石垣島から医師が来て診てくれていた。
寝たきりがいないのは、寝たきりになれない。寝たきりになったら出て行くしかないから。観光客や部外者の目に触れにくいのかも。
高齢になった人を誰がどう看ていくか問題。親の介護のため島に戻るか、石垣島か那覇、東京へ連れ帰る場合が多い。診療所程度の医療施設だとどうにもならない。
石垣島でばったり出会った竹富島の中学生。歯医者の通院のために石垣島まで来てついでに買い物をして帰るらしい・・・。買い物も病院もパーマ屋もデートも島の外にな
んだろう。

竹富島の霊柩車が格納されている。ここ10年使っていないという。
えっ、誰も死なないの?じゃなくて、死ぬのは石垣島だから。
毎年、毎年、長寿の祝いだらけで賑わっている?というか高齢社会の先進地。
竹富島の高齢者は、ぴんぴんしている。もともと身体もハート強いのか?
都会のうっとうしさやしがらみから解放された人だけが暮らしてるのかも。

霊柩車格納場所自体が素敵。

高齢者の施設。ここの裏には、百歳を迎えた人の碑が立ち並ぶ。特別枠で竹富人ではないが、きんさんぎんさんの碑と木も植わっていた。

ここで集い、お得意のゲートボールだとかグランドゴルフをやる。
歌ったり踊ったり・・・。
竹富島でここの参加が出来ないほどの高齢になったときには石垣島へ・・・。

不老不死の島みたいに思わされているかもしれない。そんなことはない。
でも親戚のおじさんとおばさんは、死ななかったらどうしよう~とかすごく長く生きたらどうしよ~。というへんな悩み事を言っていた。

島に住めばパラダイスというわけでもなさそうだけど、不幸では絶対ない。
長寿の人、島で生きる人はきちんと役目を果たすために生かされているのかもしれない。