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長寿県の沖縄。竹富島も長寿の島。
竹富島の高齢者センター。
裏は、百歳超えをした高齢者の記念碑と記念樹がたくさん植わっている。
富本達子さんの百歳の碑
富本家のことを書いた一族史。
上勢頭家に(童名:カンツ)生まれ、前豊見本(まえとみもと)家に嫁ぎ富本達子として生涯を過ごす。
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画像は、JTAより
このおばあが、東京にしばらく居たことがあって私はお会いしたことがある。とても小柄なかわいらしい人だった
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カジマヤーの祝いのときの記念に配られた。富本家は、珍しいことから発展した家である。富本達子さんは、人頭税がまだ施行されていた明治31年に生まれ平成10年(1989)に亡くなった。達子さんの生きた竹富島の時期が一番変化に富んだ時期だった。学校教育がはじまったり、人頭税が終わったので納税のスタイルが大幅に変わった。大正時代まではまだ通い婚だった。多くの人が台湾に渡り。南洋へ渡って行き。戦争に多くの人が出ていった。戦後、南洋・台湾・戦地・満州と続々と戻ってきた。そのときの竹富島はたいへんな人口密度が濃くなった。田畑から採れる作物と人口問題で、すぐに多くの人が島をあとにしていくことになる。