これが、当時の東京から沖縄へ行くときのパスポート
内容はこのような
身分証
なかはこんなかんじ
予防接種の証明
なかはこんなかんじ
荷物につけた札
父の荷物の整理から出てきました。
当時は、沖縄に行くときは、いちいち予防接種を受けていました。
このときは、那覇まで船で行きました。
これは普通なかんじで行った旅でした。この頃は、通貨はドルでした。
竹富島の種取り祭に行き、石垣島の親戚のところへ寄り、あとは那覇の父の実家にしばらくいたそうです。
当時(昭和42年)の頃は、竹富島の住居には、まだ電気の灯りがついてなかったそうです。何件かの親戚のお宅にまたがって泊まらせていただいたそうですが、夜になると真っ暗なので、みんな午後8時頃には寝ていたそうです。
私は、竹富島の歴史とか親族・家系の流れを探求していこうとしていますが、実際の灯りがどうだったか?とか、その頃の社会とかはこういうところから推察できると思います。