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2017/11/07

種子取祭2017.10.30第一日目、玻座真村の奉納芸能


石垣島の登野城の親戚の家から船で竹富島に渡り、竹富島の親戚の家に荷物を置かせていただいてから種子取祭会場となる世持御嶽へ。
最初に神司(かみつかさ)の女性たち、役員とつづきます。

竹富島は二つの村に分かれていまして、玻座真村と仲筋村。一日目は玻座真村の芸能。
二日目が仲筋村の芸能ということです。
現在は、玻座真村は西部落(いんのた)東部落(あいのた)と二つになっています。
いつ玻座真村が二つになったのか?けっこう最近のことで、人によっては戦後だと言い、ある人は明治、ある人はその前からさーときっちりと記憶していないというのが竹富流ですよね。


2016/11/18

八重山毎日のトップを飾る種子取祭

八重山毎日新聞に種子取祭の記事
種子取祭の写真がガンガン!



種子取祭の模様が11月4日の朝刊に載っていた。
私は、3日の午後から竹富島へ入っていて新聞を目にしたのは5日の夜のこと。
八重山でも話題!
でも同時に石垣まつりも話題でした。

2016/11/17

種子取祭2016③

今年の種子取祭は素晴らしいことであふれていたけれども、なかでも一番拍手喝さいを浴びていたのは、東京竹富郷友会長夫妻による「かなよー」

カメラ位置遠くてきれいにおさまらなかった

大谷喜久男さんが東京竹富郷友会長をやるのは三度目。奥様は福島県出身のヤマトの人。
奥様は一生懸命に踊り習われて、素晴らしいパフォーマンスで、みんな大感動!



2016/11/13

2016種子取祭②

庭の芸能から舞台の方へ移り、竹富公民館長あいさつ
全員で一斉に号令で祀っている神様のほうへ礼、拍手

ホンジャ(長者)
本来は政治、地域の長の意味合いだそうだが、種子取祭でのホンジャとは芸能の統括者という意味合い。
代々玻座間村のホンジャは国吉家。仲筋村は生盛(せいもり)家

弥勒(みろく)
伝説であるが、こんなに大きな?面が海岸に打ち上げられたのを中道家の人が拾ったことが竹富島の弥勒信仰か?


中道家でこの面を拝んでいたのを当時の村を納めていた与那国家が
「うちでお祀りする」と与那国家に移り、さらに竹富島を統括していた
大山家が「これはこれはうちでお祀りする」と、
いうことで弥勒面は以後大山家で保管し与那国家が被るというしきたり化したそうです。
鍛冶工狂言(カザグキョンギン)


鉄器が大陸から竹富島に渡った。鉄で農具を造るときのことを冗談交えのて狂言。
今回の役者さんは、アドリブでタバコを吸って構えるなど趣向をこらしていておもしろかった。
あがっ、あがっ!と鉄を打つふたりのやりとりで熱いからあっちち・・・熱い、痛いと「あがっ」とは方言で痛いの意。


赤馬(あかんまー)






基本的に踊りのはじめ一番目の演目と組み込まれている座開きを意味することも。

馬との別れがあり再び出会えたという喜びを舞踊化した基本の踊り。
衣装は赤くてかわいらしく女の子が踊るが、八重山舞踊のなかでは若衆。若い男の記号としている。

2016/11/09

2016,種子取祭

2016年種子取祭り始まりました!
今年は11月4日、5日。
種子取り祭は10,11月中の庚寅(かのえとら)の日、辛卯(かのとう)の日にあたる日に奉納芸能が行われる。
種子取り祭りは、芸能を神に奉納する。神に観せるためのものなので一番よく鑑賞できる席に神様を祀っている。

 庭の芸能がはじまる。世持御嶽(よもちうたき)前の広場が庭の芸能の会場となる
芸能を鑑賞する一般観光客は両脇の見やすい場所を陣取る!
 公民館長、集落の主事宅を訪問し島の神示を司どる神司(かみつかさ:つかさ)をはじめに入場するところから種子取祭の芸能がはじまる。
 女性たちの行列
男女に別れ「♪ソイソイソイソイ」と声だしながら手踊りし両者は離れながら
「♪ヒヤ、(ドン:銅鑼)ヒヤ(ドン)」と手踊りしながら接近する
これを二、三回繰り返す。
庭の芸能の「棒」にうつる、ボラ吹く、太鼓、銅鑼の四人が立ち並ぶ
棒、大きな槍、カマ、などなどの武器の芸能小道具を使っての演技
私は、カマのファンなので、いつもカマの演技ばかり見入ってしまう~♡
 太鼓、小学生と中学生と学校教師の男子たちによる太鼓
太鼓で鐘を打つ男の子。かわいい顔で声もかわっ!
 働き者女性という意味の「まみどーま」
十人の女性の踊り(十人くらいで踊る)「 じっちゅ」
 「真栄(まざかい)」
 「祝い種子取り」
「祝い種子取り」
祝い種子取(いわいたねとり)は、ユークイの道歌(歌いながら庭の芸能の入場のときに歌った「道歌」)、安里屋ユンタ、クイチャーの三部構成。農耕を行う島人たちの歌と踊り。
「 腕棒(うりぼう)」女性同士の腕をつかった戦い
馬乗者(うまぬしゃ)
大人が真面目に馬をかたどったものをお腹に巻いて踊る

庭での芸能はここまで。
一日目の庚寅の玻座真村からの芸能、二日目の辛卯の仲筋村の芸能と両日ともほぼ同じ。
高校生は学校を休んで出演した場合は出席扱いになる。


2016/03/01

49年前の種子取祭

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昭和42年に行われた種子取り祭。父のアルバムから。当時は、まだアメリカ統治だったので、本土からは、パスポートを取り予防接種を受けなければ沖縄に入ることはできなかった。
現在の種取り祭の賑わいと比べると観客はままばら。多くは島の人と石垣島の人で行っていたと思われる。

なんとなくちぐはぐで質素で、のわりには盛り上げるための余計な(?)飾り(?)なのか、当時の方々のがんばりがモノクロの画像から浮いて取れるよう。

2015/12/02

サングルロ

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種子取祭で踊られる謎めいた踊り「サングルロ」
父の友達で仲筋村の人が書いた仲筋の芸能にも書かれている。人頭税は15歳からだったので当時は年齢をごまかしたかった。当時の服装は下着をつけなけい。子供ぽく身体の成長がおそければ15歳に達していないとして押し通したかった。サングルロの踊りのなかでゴロゴロと転がりながら舞台からはけるときに着物のなかがチラ見できるときに身体の成長度合いが図れる・・・ということから15歳未満の判断材料になる。
この不気味な風貌は「とうもろこし」を表しているらしい。沖縄は、台風が多いのと干ばつ等で気候が安定しない。暑さ・湿気で食物保存ができにくいのでいつも食糧難状態。なので神に恵みを乞う儀式や祭りが多い。

竹富島は、六つの御嶽で拝む女性の神司(カミツカサ:通称ツカサ)がいる。昔、仲筋村の唐マイチという司が、当時は、船旅の安全のために神司が乗り合わせた。そのころに船旅中で中国に留まる出来事があった。その滞在中に見つけたよく育つトウモロコシの苗を陰部に隠して持ってきた。そういういきさつからトウモロコシは神様へのお供えにはしていない。踊りの意味はよくわからないが600年続く種子取祭で守り披露され続けられるのには意味やしかけがあるのかもしれない。

2015/11/21

八重山地方紙に種子取祭

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種子取祭の一日目の記事が八重山地方紙のトップに!
庭の芸能の馬ぬしゃ。

戦争中に竹富小学校(当時は、国民学校)の卒業証書を受け取ることができなかった85歳(かぞえなので、実年齢は84歳)になった今、卒業証書を手にした。ここには写ってないが、私の伯父も卒業証書をもらったらしい。伯父は疲れてこの会場に行かなかったとのこと。


2015/11/20

種子取祭2015.11

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竹富島の最大の行事「種子取祭」(たねとりさい:竹富方言読み「たなどぅい」)毎年、10月~12月の間の庚の寅の日、辛の卯の日は、種子取祭の奉納芸能の日。今年、数十年ぶりに行ってみた。芸能奉納の会場に入ってくるところ。
太鼓から。

この前に御嶽に仕える神司(つかさ)が先頭にいたが、撮影は遠慮しておいた。男性陣は、神司のフォーローのようなお役目の人や村長とか、東京・沖縄等々の他郷友会会長の面々。早朝5時から、きちんと古来に習っての儀式を終え芸能会場に入って来た。
棒の演技、太鼓等々の庭の芸能で土地を清める。

馬ぬしゃ。

舞台は、簡素な特設。
赤馬(あかんまー)二才踊りは、たいていが小5~高校生くらいの女の子
しきた盆


もちろん、「いいやち」この「いいやち」実は不評で・・・みんなが言うには練りが足りないらしく、よそのお宅でいただいたものと比べるとおこわぽかった。でも、本土から行った者にとってはすっごくおいしかった~。

途中、会場を抜け出して、祖母の実家である私の受け継ぐ屋敷に行ってみた。ひどいことになっている。一年前に来た時よりもさらにアマゾン化している~。
撮影陣。


照明
音響


鬼狂言(うんきょんぎん)
鬼狂言の準備でライトの調整設置。

鬼ががんばってる~!

今回、時間いっぱい、「石垣港行き船の最終便にじゅうぶん間に合うようにしますから最後の鬼狂言(うんきょんぎん)まで見てくださいと」終盤の途中でアナウンスがあっての鬼狂言だった。これが終わり、さーと会場は人がはけていった。600年昔から続く国指定の重要無形文化財になっている。

初日の夜に「ユークイ」という一件、一件の家を訪れる夜通しまわりもあるのだが私は参加がままならなかった。竹富島の人、出身者、私のように竹富島の子孫たちの間で毎年、毎度、種子取祭のことでいつも思いがいっぱい。竹富島の人、出身者が盛り上がるのが干支の年の人の「生り年の祝い(まりどしのいわい)」で盛大にお祝いをするのがならわし。沖縄の竹富郷友会でもお祝いを配ったり、個人でも各家庭で盛大な誕生会をやる。でもなんといっても種子取祭の時期に合わせて、同窓会や八重山全土の祝いが一番大きな祝い。今年、数えで85歳の祝いの伯父(実際は84歳だが、かぞえで言い表すなごり)と泊まらせていただいているい親戚の女性が61歳の祝い・還暦の祝いで苦しそうな咳をしながら毎夜遅くまで宴席に参加し続けていた。八重山では命がけで祝いをやらなくてはならない。これからも竹富島の種子取祭関連の祝い情報を拾い集めていきたい。