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2018/03/05

東京竹富郷友会3月度定例役員会

先月から出席しています東京竹富郷友会の定例役員会。

先月はもうすこし賑わった(メジャーな)ところにある会場でしたが、今月から総会に向けての稽古、しくみ(方言でしこみ・練習のこと)のため会長宅近くの公共施設をお借りしていきます。
民家のど真ん中にあってなかなかわかりにくかった。
全員で会場設定。机といすを出します。
「しきたぶん」
※竹富島の君が代のような歌「しきたぶん」を
みんなで歌います。
「くいちゃ」
このほか数曲歌いましたが今日は
二つの動画だけアップさせていただきます。

今回は、5月27日の総会に向けての事前打ち合わせと次期の会長選出決定とそのほかの役員決めと次期からの会の運営をみんなで協力しなるべく次世代を育てていくように、また一人に偏らせず負担・責任を軽くしみんなでやっていくようにということで会の会議はすすみました。

現在の幹事長が確信をついて
「みんな協力する、手伝うというが、今必要なのは協力者じゃない!リーダーだ!」
ということをはっきり言っておられました。


でも・・・本来の竹富島は
「かしくさやうつぐみどまさりょーる」
賢いことはうつぐみど(協力するシェアするという意味合い)勝りょる。
協力することは素晴らしい!大事なことである!賢いことである。
ということが竹富島のモットーなはず。

かつてのリーダー達、けん引するような人たちが次々と亡くなり引退、役の要を退いて、あとは経験のない若手や見様見真似の二世三世たちがどう次世代の郷友会を担っていくのか?

私は、編集員等の役割でいきます。
今後の東京竹富郷友会を守っていこうと思います。

2017/05/31

第92回東京竹富郷友会総会

第92回東京竹富郷友会の総会が北とぴあにて行われました。

今回は、前回より会場が都心よりで駅と直結してる利便性などなどでちょっと去年より参加者多め…とはいっても年々参加者は減っています。
最後の巻き踊り
久々に会った親戚と
めちゃうまかったぱフォーマンス舞踊を披露された東民雄さんと

東さんの舞踊、パォーマンスのレベルの高さは、竹富島関連の方は子供のころに種子取祭で踊ったり、郷友会で「じっちゅ」にかりだされたり、小さなときに「じゅんさーみ」踊らされたりするので誰でも踊りを経験しているので、東さんの舞踊(厳密にいうとまね)のうまさがわかるのでとくに女性たちはポーとして見つづけていました。
兄弟踊り
竹富島出身者でなく竹富島ファンとして演奏してくれた「まいじっちゅう」
沖縄でも何でもないのに好きになってくれて舞台に出てくれるなんてうれしいです。
会場様子

元会長富野芳江乾杯!
じっちゅ
今回の総会は、特にゲストはなく、年々、会員、出席者が減っていくさまや竹富島の社会での位置関係や島意識の変化など感じる空気ありました。

2016/12/27

東京竹富郷友会90周年記念誌

先月、二年前に90周年を迎えた東京竹富郷友会の記念誌が届いた。これを最初に目にしたのは竹富島の知人宅で。

郷友会は、大正時代に発足をして度々、会の名称を変え東京竹富郷友会として今に至る。
今誌は、今までの記念誌をなぞらえるような大枠なつくりとなっている。
郷友会を支えてきた重鎮たちがここ数年の間に続々と亡くなり、存命の方々もすっかり会に顔を見せなくなってきている。

そんななか、試行錯誤?と思われるほどに懸命に作られたように感じられた。
90周年とあって鳴り物入りで寄付を募られたのだが、期待に反して90年という長い濃い年月はさらりとしているよなボリューム感となっている。

それは、東京竹富郷友会の会員、役員らの関係、、現状を現しているように思える。
封筒はこういう感じで渋いデザインになった。

2016/06/13

東京竹富郷友会第91回③総会後の懇親会から

第89~90回瀬戸克会長あいさつ
役員の方々ありがとうございました。
ようやくお疲れさまの一杯。
司会進行された大さん
竹富公民館長上勢頭篤さん
竹富島のコンドイ浜に本土の企業による
新たな宿泊施設建設反対問題!
竹富島は、いなし(方言:石垣島)から
毎日一日500tのみじ(方言:水)をわけてもらっている。
通常一日350tだが夏など消費量が多い時は400tになる。
現時点もよろくがそんなにないので、
これ以上宿泊施設が増えることや、
私たちのコンドイ浜の景観が変わってしまうことは
絶対に受け入れられないので県庁やら付随する役所等々に
掛け合うこと奔走している!と。
 大阪から登場!東さん。
大阪はていどんの人が少なく
郷友会を執り行おうとしても5名きりしかいないので
他の八重山の郷友会にくっついてやる現状とのこと。
東京竹富郷友会初の女性で会長になった富野芳江さん
 与那国島出身、竹富郷友会員として存在感ある入澤紀さん
 監査役前新康千代さん
富本栄氏より
あいさつと歌、動画
 動画の歌は「ぬちがふゆんた」
 今回の東京竹富郷友会第91回のご案内
 今回の郷友会資料。
冊子制作が間に合わず急きょ印刷された
議案書と芸能演目プログラム等

 代議員制の会則改定について

 今回、ぎりぎりまでたいへんだったそうです。
役員はニューフェイスたち。
90周年記念という大事業や、
直前になって役員のご家族の不幸が続いた。




2016/06/12

東京竹富郷友会②、代議員制度の会則改定

2016.6.5に開かれた第91回の東京竹富郷友会総会で出された議案です。
会員の総会参加の減少。全体的に高齢化・二世三世の世襲されない現状。
島出身者の未会入なのに島出身外の竹富ファンの会員増という現時点。
等々から代議員制の導入をはじめとした会運営を少しずつ更新していくようなことが発表された。
木下さん、御年90歳!
来賓の他の八重山の郷友会・県人会長の紹介とあいさつが続く
世曳きに子供が4人という!新スタイル?
鷲の鳥
じゅんさーみー




しきた盆
シーザー踊り(ぶどり)
有志ダンス
大阪在住東さんによる即興三線演奏


2016/06/11

第91回東京竹富郷友会総会

第91回東京竹富郷友会が、2016.6.5(日)
國學院大學たまプラーザキャンパス若木21にて行われました。
大石直美さんによる開会あいさつ
総会スタートになってもガラガラだった。
一同、「東京竹富郷友会、会歌」を歌う
 竹富島ファンの方
瀬戸克会長のあいさつ
市村高也さん
かんぱ~い!
弁当
第二部余興のはじまり
 まみどー

 ここ最近のなかで一番来場数が少なかったようにみえます。
会員の高齢化と死亡により脱会者等々という悲しい現実があります。






2015/06/27

東京竹富郷友会の発足


大正14年に東京、京橋、現在の中央区八丁堀付近の「田中屋」というお蕎麦屋さんでスタートしたと聞いていた。

だいたい大正10年あたりから上京する者がではじめ、大正14年時には二十余名が東京にいたことになる。

関東大震災が大正12年の9月1日に起こった。
この震災によって全国の支援金・支援の会「同潤会」が建てた同潤会アパートに住んだ者がていどんにもいた。

この頃、目黒あたりで事務所を置いていたが京橋に移したという。

東京竹富郷友会の今は亡き、もしくわ現役を退いた方々の残した資料から当時を察している。

個人的に話を聞くと、親戚関係ならではのことや内輪だけで流れていた情報もある。もちろん資料には記載はない。

郷友会の発端は、嘉利勇士会という航海安全を祈ったカリユシにちなんだものらしい。

初代の会長は、崎山用枝。
それは一番年長からだという。

昭和の戦争前にかなりがんばって会を発展させた。
「曙光」という月刊誌をつくったりと・・・。
でも南洋に行く者、満州へ行く者と状況は変化の連続だった。

昭和35年の創立35周年記念行事の際には、民俗学の柳田国男、早大の本田安次、画家岡本太郎らを招待したそうだ。

柳田国男、本田安次氏を総会に招いたのは現会長のお父様の瀬戸修氏。

2015/06/10

昭和40年代の東京竹富郷友会総会は・・・



昭和40年代の東京竹富郷友会は・・・

現会長の瀬戸克氏のお父様が会長や幹事等をやられていたころ。
瀬戸克会長は、テレビ関係の仕事をしていた。
郷友会ではおおかた余興の部の司会をしていた。

もう、当時の事を知る人は少なくなった。

俳優・タレントの野呂圭介氏が看板持って、ヘルメット姿で理不尽となった状況の中に飛び込んで来て「どっきりテレビです」とその場を収め笑いで立ち去る元祖どっきりテレビ。

郷友会総会の最中に野呂圭介氏がお決まりのスタイルで登場!
何も聞かされていない総会参加者たちで場内が沸いた。
そういった斬新な企画を取り込んだのが瀬戸克会長だった。

沖縄返還前後で、沖縄が、八重山が東京に近くなり始めた頃のことだった。


2015/05/30

来たる東京竹富郷友会90周年

来週の2015.6.7(日)が東京竹富郷友会の90周年記念公演と総会です。

あっちこっちで宣伝しているので竹富ファンの方はもちろんご存じで
話題になっていることでしょう。
私はひとり竹富島郷友会としてメルマガに今号では戦後の東京竹富郷友会のことなどに触れています。

実名等が載っていますし、父の書きためた原稿を公開しています。
今後も続々と竹富島にまつわる戦前・戦中・戦後や郷友会のことや資料等を記録していきます。
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