2016/11/19

沖縄国際大学、教授狩俣氏の生家

種子取り祭の前日と一日めの二晩お食事をいただいた仲筋村の狩俣氏の生家
こちらが狩俣家。
お父様は91歳で、お母様も90歳くらいで今は、お嫁さんとお嬢さんが半々で生活介助をしているそうです。
伺った日も学生さんがお見えになったりと忙しそうでした。

2016/11/18

八重山毎日のトップを飾る種子取祭

八重山毎日新聞に種子取祭の記事
種子取祭の写真がガンガン!



種子取祭の模様が11月4日の朝刊に載っていた。
私は、3日の午後から竹富島へ入っていて新聞を目にしたのは5日の夜のこと。
八重山でも話題!
でも同時に石垣まつりも話題でした。

2016/11/17

種子取祭2016③

今年の種子取祭は素晴らしいことであふれていたけれども、なかでも一番拍手喝さいを浴びていたのは、東京竹富郷友会長夫妻による「かなよー」

カメラ位置遠くてきれいにおさまらなかった

大谷喜久男さんが東京竹富郷友会長をやるのは三度目。奥様は福島県出身のヤマトの人。
奥様は一生懸命に踊り習われて、素晴らしいパフォーマンスで、みんな大感動!



2016/11/13

2016種子取祭②

庭の芸能から舞台の方へ移り、竹富公民館長あいさつ
全員で一斉に号令で祀っている神様のほうへ礼、拍手

ホンジャ(長者)
本来は政治、地域の長の意味合いだそうだが、種子取祭でのホンジャとは芸能の統括者という意味合い。
代々玻座間村のホンジャは国吉家。仲筋村は生盛(せいもり)家

弥勒(みろく)
伝説であるが、こんなに大きな?面が海岸に打ち上げられたのを中道家の人が拾ったことが竹富島の弥勒信仰か?


中道家でこの面を拝んでいたのを当時の村を納めていた与那国家が
「うちでお祀りする」と与那国家に移り、さらに竹富島を統括していた
大山家が「これはこれはうちでお祀りする」と、
いうことで弥勒面は以後大山家で保管し与那国家が被るというしきたり化したそうです。
鍛冶工狂言(カザグキョンギン)


鉄器が大陸から竹富島に渡った。鉄で農具を造るときのことを冗談交えのて狂言。
今回の役者さんは、アドリブでタバコを吸って構えるなど趣向をこらしていておもしろかった。
あがっ、あがっ!と鉄を打つふたりのやりとりで熱いからあっちち・・・熱い、痛いと「あがっ」とは方言で痛いの意。


赤馬(あかんまー)






基本的に踊りのはじめ一番目の演目と組み込まれている座開きを意味することも。

馬との別れがあり再び出会えたという喜びを舞踊化した基本の踊り。
衣装は赤くてかわいらしく女の子が踊るが、八重山舞踊のなかでは若衆。若い男の記号としている。

2016/11/09

2016,種子取祭

2016年種子取祭り始まりました!
今年は11月4日、5日。
種子取り祭は10,11月中の庚寅(かのえとら)の日、辛卯(かのとう)の日にあたる日に奉納芸能が行われる。
種子取り祭りは、芸能を神に奉納する。神に観せるためのものなので一番よく鑑賞できる席に神様を祀っている。

 庭の芸能がはじまる。世持御嶽(よもちうたき)前の広場が庭の芸能の会場となる
芸能を鑑賞する一般観光客は両脇の見やすい場所を陣取る!
 公民館長、集落の主事宅を訪問し島の神示を司どる神司(かみつかさ:つかさ)をはじめに入場するところから種子取祭の芸能がはじまる。
 女性たちの行列
男女に別れ「♪ソイソイソイソイ」と声だしながら手踊りし両者は離れながら
「♪ヒヤ、(ドン:銅鑼)ヒヤ(ドン)」と手踊りしながら接近する
これを二、三回繰り返す。
庭の芸能の「棒」にうつる、ボラ吹く、太鼓、銅鑼の四人が立ち並ぶ
棒、大きな槍、カマ、などなどの武器の芸能小道具を使っての演技
私は、カマのファンなので、いつもカマの演技ばかり見入ってしまう~♡
 太鼓、小学生と中学生と学校教師の男子たちによる太鼓
太鼓で鐘を打つ男の子。かわいい顔で声もかわっ!
 働き者女性という意味の「まみどーま」
十人の女性の踊り(十人くらいで踊る)「 じっちゅ」
 「真栄(まざかい)」
 「祝い種子取り」
「祝い種子取り」
祝い種子取(いわいたねとり)は、ユークイの道歌(歌いながら庭の芸能の入場のときに歌った「道歌」)、安里屋ユンタ、クイチャーの三部構成。農耕を行う島人たちの歌と踊り。
「 腕棒(うりぼう)」女性同士の腕をつかった戦い
馬乗者(うまぬしゃ)
大人が真面目に馬をかたどったものをお腹に巻いて踊る

庭での芸能はここまで。
一日目の庚寅の玻座真村からの芸能、二日目の辛卯の仲筋村の芸能と両日ともほぼ同じ。
高校生は学校を休んで出演した場合は出席扱いになる。