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2015/11/30

戦争中の竹富島

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戦争が始まることになったので南洋から竹富島に移り住むことになった父。最初はお婆さんの弟が所有していた家に住んでいた。でも、昔のこと嫁と姑との関係からその家を出ることになった。当然、あてがない。当時、大方の人が石垣島、沖縄本島、九州、東京、満州、台湾へ移住したり、徴兵で出て行ったりして空き家が多かったので空き家に移り住んでいた。
ところが子供たちが大きくなるし、水汲みやらなんだかんだで手狭になってまた家を動くことに。そこへ、戦争も押し詰まった頃に。島を守る隊が本土から配属されてやって来た。当時、父たちが住んでいた空き家は広かったのでそこを隊の拠点とするというのでそこをまた出ることになる。
そうやって転々とし、西表島に学童疎開し、そこで大勢の人、当時の学校の若い女性教員もマラリアで亡くなった。
竹富島に常駐すことになった隊「大石隊」高知県の人たちで戦後ずっと東京竹富郷友会と交流があった。当時の小学校は、少しずつ場所を変えて授業を行っていたそうだ。空き家で簡易的に授業をしていた。半年に一度くらい、本土からニュースなどがフィルム映画となって学校で生徒たちに上映することがあって、そういうものから本土の情報を得ていたそうだ。そういうときは島の大人たちがのぞきに来ていたそうだ。