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2016/06/14

家系図

嘉善姓の系図
 大山門中系図
大家と宮良家の系図

大家の系図を書かれた大谷用次さん

大家は、大谷用次さんの代から大谷に改名しています。

この他、慶来慶田城の錦芳氏(きんぽううじ)の系図があります。

私は見たことがありませんがけっこうスゴイと聞いているのが黒島家の系図があります。

大山門中は、大山は役職をぺーちんという位をいただいたらしい。
大山には10名ほどの女性との間に子供が出来た。そのため竹富島には大山の子孫が多い。
あとは、玉城次良。
あとは与那国家が位をもらったりしているので役職を務め、その子孫たちはみな優秀で琉大の先生等をしているほどだという。
竹富島で平民から役職「ちくどん」と「ぺーちん」の位をいただいているのは、
*大山
*与那国
*請盛
の三家しかいない。
と、球陽に載っていたそうだ
こちらが球陽
と、現沖縄国際大学の教授狩俣恵一さんから伺いました。

2014/04/03

嘉善姓

 
 嘉善姓の墓というところへ行った記録。この墓は、石垣永将が外国の難破船を助けてキリスト教になった最初の人で見せしめとして殺されたということらしい。
私、実は足が悪いので丘の上にある碑まで車で登ってもらった。この画像の隣の奥に墓というか区切られている場所がある。数年前まで荒れていたそうだ。
私たちの代で気づいた人、わかっている人たちが守り伝えなくてはいけない。
こちらは、桟橋にぐっと近い、街中にある石垣永将が処刑にあった地。今はここの左手前の家の人が掃除したり守ってくれているそうだ。
 
嘉善姓について書くのは、手が震える~。
ばれるから・・・。
八重山の昔の役人。八重山は三氏(さんうじ)いたらしい。
*嘉善(かぜん)氏・・・名前の最初「永」の字・・・永将とか、永・・・
*梅公(ばいこう)氏・・・「孫」・・・この字が名前についている人はその一族だとすぐわかる
*錦芳(きんぽう)氏・・・「用」・・・この字が名前についている。
 
ところが、この血筋であっても苗字が違い、さらには、この共通の文字が名前にない。もしくは、女に生まれると、血筋のしるしとなる手がかりが何もないのだ。
私たち、竹富島の子孫は、今これを追っている。というか追っているのは私。
この間、梅公氏の血筋の方から情報をいただいた。私の手元にあるのは錦芳氏の系譜の写しというか、大掛かりなコピー。
 
さらには、そのコピーに漏れているうちらのじーちゃんの名の書き込みがされている。
これは、フチャーヤー(黒島家)の詳細な家系図を書いた人みたいに手がかりを生前集めていたおじさんの残したもの。ふたりともたまたま司法書士をしていた。
 
三氏というのもうら覚えなので、ちょっとちがうかもしれない。
錦芳氏と梅公氏は明確。というのは、八重山にいた役人でも位がいろいろあるらしい。
とにかく、おやけ赤蜂までさかのぼるので。それも島々での記録保存がまちまちだし、八重山の記録の廃棄、処分のことについてもいろいろ書かれていた資料もあるので・・・。