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2015/11/24

大山門中

この記事は姉妹ブログ「竹富島学習」から

家系図・関係図書きがライフワーク。
竹富島は、大山が多い。大山という一人の男から多くの大山子孫が生まれている。大山姓もそこそこいるが、女性が嫁ぎ先の姓になったり、改姓した家も多いのでよほど竹富島の家々に精通した人でないと一見わからない。

私は大山一族ではないので、あまりよくわからない。
私が、手をつけている家系図は、前新家(マエアラヤー、イルマイアラヤー、ヒソーリャ、ソーリャ)仲盛家(ナカウラヤー)、内盛家(ウチウラヤー)、前請盛家(マエキューリャー)、古堅家(ハエモリヤー)、登野城家(トノキャ)富本家(マイアル―リヤ)。
だいたい明治政府以降、親の記述が江戸時代末の生まれくらいの記録や聞きかきでどんどん書き伸ばしている。
まずわかり易い例。
新(アラ)家の長男が新家を引き継ぐから、そのまま新家となる。

次男が新家から分家して、新家の前に家を創建すると「前新」になる。
じゃ、後ろに家を建てると「後新」
新家の東側に建てると「東新」
新家の西側に建てると「西新」といった規則性で姓が作られている。
二つの家で補いながら家を継いでいる。
A家で男の子が絶えるとB家から男の子を出しよそから嫁をもらいA家を継いだカタチにする。そうやって何百年もやってきた。近親婚が多い。
今回書いた大山門中だが、私の場合は錦芳氏、嘉善姓とまたがっており、このあたりのことはおいおい書いていくことにする。