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2014/10/24

戦後沖縄のアルバムから

父の持ち物を整理して出て来たアルバム。

数少ない少年期の写真、復帰前の閑散とした沖縄の風景が写っていた。
中央に写っているのが南洋相互銀行に一時期勤めていた祖父。

父が沖縄のバス会社「銀バス」に勤めていたころ。
父が就職した昭和29~32年当時は、アメリカの払下げのスクールバスを直して、市内運行用バスに使っていた。

父たちは、戦争中は竹富島で過ごし終戦で多くの人が帰ってきた。
大正時代に南洋に移り住んだ人々から台湾に移り住んだ人々、満州から戻った人々で小さな竹富島は人が飽和。
竹富島は、農業に適さない地質なので皆に供給できるほど畑がないので、隣の西表島に開墾で渡っていく人が多かった。
西表島に多くの人が渡ったが、そこも農業には向かないので多くの人が去って行った。
父の一家は、家庭不和もあって一時期石垣島に渡ったがじきに与那国へ渡った。

たぶん、石垣港から与那国島行きの船に乗り込む前に取った一枚だと思われる。
祖母は、赤ん坊をおぶっていた。
みな、けっこうモダンな恰好していた。
当時の与那国島は、密貿易が盛んだったそうだ。
父の一家のように畑仕事で食べて行こうとする素朴な思考の人と儲けのために渡っていく人も少なくなかったそうだ。