石垣島の登野城の親戚の家から船で竹富島に渡り、竹富島の親戚の家に荷物を置かせていただいてから種子取祭会場となる世持御嶽へ。
最初に神司(かみつかさ)の女性たち、役員とつづきます。
竹富島は二つの村に分かれていまして、玻座真村と仲筋村。一日目は玻座真村の芸能。
二日目が仲筋村の芸能ということです。
現在は、玻座真村は西部落(いんのた)東部落(あいのた)と二つになっています。
いつ玻座真村が二つになったのか?けっこう最近のことで、人によっては戦後だと言い、ある人は明治、ある人はその前からさーときっちりと記憶していないというのが竹富流ですよね。
0 件のコメント:
コメントを投稿