2018/03/12

八重山石垣島に来ています(3/8~3/11)

石垣島へ行くこととなった経緯と東京から石垣島の最初の宿泊所でのVlogです。

2018/03/05

東京竹富郷友会3月度定例役員会

先月から出席しています東京竹富郷友会の定例役員会。

先月はもうすこし賑わった(メジャーな)ところにある会場でしたが、今月から総会に向けての稽古、しくみ(方言でしこみ・練習のこと)のため会長宅近くの公共施設をお借りしていきます。
民家のど真ん中にあってなかなかわかりにくかった。
全員で会場設定。机といすを出します。
「しきたぶん」
※竹富島の君が代のような歌「しきたぶん」を
みんなで歌います。
「くいちゃ」
このほか数曲歌いましたが今日は
二つの動画だけアップさせていただきます。

今回は、5月27日の総会に向けての事前打ち合わせと次期の会長選出決定とそのほかの役員決めと次期からの会の運営をみんなで協力しなるべく次世代を育てていくように、また一人に偏らせず負担・責任を軽くしみんなでやっていくようにということで会の会議はすすみました。

現在の幹事長が確信をついて
「みんな協力する、手伝うというが、今必要なのは協力者じゃない!リーダーだ!」
ということをはっきり言っておられました。


でも・・・本来の竹富島は
「かしくさやうつぐみどまさりょーる」
賢いことはうつぐみど(協力するシェアするという意味合い)勝りょる。
協力することは素晴らしい!大事なことである!賢いことである。
ということが竹富島のモットーなはず。

かつてのリーダー達、けん引するような人たちが次々と亡くなり引退、役の要を退いて、あとは経験のない若手や見様見真似の二世三世たちがどう次世代の郷友会を担っていくのか?

私は、編集員等の役割でいきます。
今後の東京竹富郷友会を守っていこうと思います。

2018/02/28

竹富島仕組み、私が追及する理由

私が竹富島についての追及する起点となったことや島の昔からの仕組みのさわりを話しました。


2017/11/07

種子取祭2017.10.30第一日目、玻座真村の奉納芸能


石垣島の登野城の親戚の家から船で竹富島に渡り、竹富島の親戚の家に荷物を置かせていただいてから種子取祭会場となる世持御嶽へ。
最初に神司(かみつかさ)の女性たち、役員とつづきます。

竹富島は二つの村に分かれていまして、玻座真村と仲筋村。一日目は玻座真村の芸能。
二日目が仲筋村の芸能ということです。
現在は、玻座真村は西部落(いんのた)東部落(あいのた)と二つになっています。
いつ玻座真村が二つになったのか?けっこう最近のことで、人によっては戦後だと言い、ある人は明治、ある人はその前からさーときっちりと記憶していないというのが竹富流ですよね。


2017/11/06

2017種子取祭

今年も待ちに待った「種子取祭」。

種子取祭の奉納芸能は、毎年、10~12月の間の頃の庚寅の日、辛卯の日に行われます。今年は10月30,31日で平日だったためお休みが取りにくい会社員の方々は来れないみたいで昨年より観客が少な目だったようです。

前日、前々日と台風で飛行機の運行に多少の影響がでてました。が、やっぱり種子取祭だねよく晴れました!!
こちらは早朝6時の様子。神司と役員が御嶽屋(オンヤ)に拝む。



2017/11/05

沖縄絵葉書



沖縄の昔から集めた絵葉書です。
今ではもう手に入らないような絵葉書もあります。

2017/10/29

種子取り祭、世乞い


今年は10月30•31日に執り行われる種子取り祭の芸能奉納を観に行く最中の機内Wi-fiから書いています。

種子取り祭一日目終わってから「世乞い(ユークイ)」という各家々を白いハチマキをしたユークイ参加者は、ユークイが始まる根原家の座敷に上がります。
お酒、ニンニクなどが振舞われ古くから伝わる伝統に則った決まった唄、文言を唱え儀式となります。
家の中での行いが終わると家さきのにわにて唄など大勢で。

終わると次なる家々に向かい一晩かけて
まわります。
実際には数件。
やめてしまってる家もあるのですが、島の決まった役目を担っている家では毎度行われるそうです。
根原家は、ねはら神の人ということで
「ネーレカンド」と呼んでるらしいです。
ユークイは、向かい入れる家側と訪れる側とあるそうです。
私は、去年はひいひい爺さんの赤山家(ハーヤー)の向かい入れる側のなかに混じりました。

ユークイは、その家、家まわりをする人のなかに亡くなった霊も混ざって行ってるというていでやってるわけです。
私は、信じてます。ともすれば霊が見えちゃったりしますから。
びびりたくないのでそこにはフォーカスせず普通にやりたいと思います。