2014/03/30

過疎化の竹富島、Iターンできるのか

 
竹富島に一般の人が住むのは無理。
どうしてもというのなら島の人と結婚するか、養子になるか。
もしくは住み込みのバイトなら・・・。でも、土地取得はできない。
2月に竹富島に先祖のことを聞きに行ったときに
「こっち(竹富島)に住めばー」と言われてしまった。
なぜ、島に土地も家もない私が住めるのか?
これが竹富島過疎のわけというか、問題点。
 
竹富島は、土地は売ってはいけない。
でも実際、売ってしまい問題に。ダブルスタンダードになっている。
土地の問題は、人頭税時代に島間の移動が出来なかったこと。
そういうところからもきている。
が、私が竹富島にIターンはなぜ出来るのか?
なぜ帰らなくては(東京生まれでも、魂のよりどころして帰るという意味)ならないのか?
 
竹富島は、家ごとに屋号があって、屋号を呼ぶ習慣がある。
もともと昔は、苗字はなかったので名だけで呼んだ。
名前は、祖父母等から譲り受ける。
母方の祖父は「宇座」西塘の子だか?弟?と同じ名。
そういうとずっとさかのぼっていくと誰の子孫だかわかる。
ところが明治時代に教育制度が整ってきて自分たちで名をつけるようになっていく。
祖父は、ウザッカーと幼少時代は呼ばれて、のちに祖父独自の名に変えることに。
いま現在は、屋号は、一族を表す言い方のようになっている。
例えば「ハーヤ」現在カフェになっているハーヤーは、「赤山家」のこと。
竹富島では、赤のことを「ハー」というらしい。
ここでじゃなぜ踊りの「赤馬節」のことを「あかんまー」というのか?
ハー馬と呼ばないのか?
竹富島だけなのかもしれない。
赤馬節は、八重山全体の踊りのようでもあるし、沖縄も絡んでいるストーリーだかららしい。
 
私のことを屋号だけで説明がつく。
曾曾祖父が、ハーヤーからナカウリャーへ婿養子に入る。
曾曾祖母はウチウラリャーからナカウリャーへ。
祖母は、ミウリャーから。母の祖母マイキューリャーから。
母方の祖父はマイアラヤー。
というだけで竹富島の人は、私のことを理解できるのだ。
今は、一族のこととして通ている。でも戸籍にもないし、決まりでもなんでもない。
 
私がやりたいのはフチャーヤーの家系図に負けない家系図を書きたいのだ!
フチャーヤーとは黒島家のこと。
だれもいちいち黒島家とは言わない。
あー、フチャーだろう!とか。
フッチャのツジよ(黒島の妻よ)とか・・・。
 
フチャーヤーの家系図を見事に書いた人がいる。
それは、噂でも聞いたし、フチャーヤーの子孫の方からも聞いた。
 
で、竹富島の過疎とは?
竹富島の家の絶対数が決まっている。
土地を買うことができない。全部子孫に相続する。
多くの人が竹富島を離れることになった理由がこれである。
長男以外は、家を出てよそに家を建てる。
明治時代に人頭税が終わり物納から金銭に変わり、
教育が入り、島から出られるようになったので長男以外は家を出る。
それから石垣島か沖縄本島か台湾か、東京へ行ったのだ。
過疎というか、長男以外は全員出ていくことに。
長男で家を出て上京した人はどんどん竹富島へ戻っている。
 
じゃ、長男でもない私(ちなみに私は長女)が戻ったらどう?と言われるのか?
ここが問題。みんなそう。
竹富島の空き屋敷。
売ってはいけない。でも継ぐ人が戻ってこない。
でも売ってはいけない!!
それは、竹富島は、六山(ムーヤマ)という六つの御嶽がある。
御嶽の神に祈る専門の神司(かみつかさ:みんな「つかさ」と呼ぶ)
島の人々、家々はみんなどこかの氏子になっている。
みんな拝んでもらう。
ちなみに私の五代前の祖母から継ぎ継ぎと曾祖母まで司。
曾祖母からは引き継ぐ流れにならなかった。
みんなが島自体が御嶽のようになっていて島民は、氏子なわけ。
そういう仕組みというか成り立ち。
長男が家を引き継ぐ習慣を今もかたくなに守っている。
 
私の場合は、理解するまでに時間がかかった。
複雑に絡み合っているから。
たぶん、竹富島でもこんな人は私だけ。
 
竹富島のダブルスタンダードゆえに司を継ぐ流れでないということや、
長男が継ぐ仕組みで長男以外が家を出るというゆえの悲劇・・・。
 
また続きは、どっかで書くので。
 

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