2014/03/27

ブログ開始、睦美会初参加

今日から書きますので。
私は、東京生まれの東京育ちの竹富人(ていーどんびと)三世。
曾祖父母のその前の代から竹富島の人。
父は、日本統治時代の南洋で生まれ。
母の両親は昭和初期に上京した竹富人。



今週日曜日(2014.3.23)に参加した、竹富人(てーいどん)の集まり「睦会(むつみかい)」に参加したことから日記。
開催場所は、東京自由が丘の沖縄飲食店「なんた浜」

ママはもとより常連客は、てぃーどんか、竹富をこよなく愛する人々。
昭和41年に東京竹富郷友会の別組織として有志で立ち上げた摸合(もあい)。今回から参加することになった経緯は、おいおい書くので。



元海上保安庁にお勤めで竹富島大フアンというK氏が飛び入り参加して、尖閣諸島のこのほど巡視船の進水式を終えた尖閣専従の船の名前が「たけとみ」に決まったというホットな話題を持って来てくれた。K氏はもともと睦会の会員。ついこの間、脱退したそう。

竹富島 に魅入ったのか、その集いに魅入ったのか、その高齢の品のいい男性は長年ここに通いその会にいたらしい。
実家に戻ってからここのメンバーはずいぶんと入れ替わってしまったことを母から聞いた。
この会が盛んだった頃とはまったく違ってしまったようだ。

私がこのブログを立ち上げたのは、現在の参加者の知らない隆盛の頃、竹富島の現実と今だから明かせることを後世に残すためと竹富島にIターンする目的のためである。

みんな竹富島に何度も通っているらしい。子孫のくせに四度しか行っていないという事実はあまりにも恥ずかしく言えなかった。
あまりにも赤裸々で過激な竹富島の実態、島の人、子孫が抱える大きな問題を今後メルマガで発信していこうと思う。





これから縁もたけなわという頃にお開き予定の時間にひとり退散した私になんた浜のママが最後にくれたあんだぎー。
「あんだぎー」は、子供の頃、おばーちゃんが「てんぷら」と言っていた。または「さとうてんぷら」と言っていた。
あんだぎーは、油で揚げたのであんだぎー。「さーたーあんだぎー」とは「砂糖天婦羅」という意味だと若いナイチャーは知っているのだろうか?








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