2015/05/30

来たる東京竹富郷友会90周年

来週の2015.6.7(日)が東京竹富郷友会の90周年記念公演と総会です。

あっちこっちで宣伝しているので竹富ファンの方はもちろんご存じで
話題になっていることでしょう。
私はひとり竹富島郷友会としてメルマガに今号では戦後の東京竹富郷友会のことなどに触れています。

実名等が載っていますし、父の書きためた原稿を公開しています。
今後も続々と竹富島にまつわる戦前・戦中・戦後や郷友会のことや資料等を記録していきます。
メルマガ購読はこちらから。

2015/05/25

芸能天才「マエアラ長成」

竹富の近年の芸能の発展や保存はどう行われていったのでしょうか?
沖縄本島へ自由に行けるようになった昭和。
見聞の為に本島の芝居を見に前新長成は出かけた。

前新長成は、人並み外れた記憶力、
整ったマスク、見る人を魅了していた。
(何人かの高齢女性に話を聞いて回って知った)
口を揃えてみな「マエアラ」の一番上の人は踊りがステキだった。
教えて!教えて!
踊って!踊って!と女性たちはくらいついていた。

どうやって踊り、芸能を吸収していったかというと・・・
二人で沖縄本島へ行き、
芝居を見て、
「あんたは、女のセリフ覚えろ、
こっちは男のセリフ覚えるからさ」
ということで学ぶつもりだった・・・。

が、女のセリフを覚えるはずの者がまったく覚えていないことが判明!
長成は、なんと男のセリフ、女のセリフの両方を覚えてしまっていた~!!
とにかく、覚えるのが早い。
モノにするのが上手い人だったそうだ。
今に広がる竹富の芸。
天才的な前新長成の行動があった。

女性たちの間(80歳以上の)で今も話題に出るのに、
なかなか竹富の歴史には名前が出てこない。

芸能の天才的美男子「前新長成」のエピソードを残しておきたいと思った。


2015/05/01

東京竹富郷友会創立90周年


東京に竹富島の人々が定住しはじめ、郷友会が発足して90年となりました。
と、いうことで6月7日に記念事業として、竹富、石垣、沖縄本島そして東京の芸能関係者が集結して公演を行います!
踊り、歌にたいへんにぎやかに90周年を祝います!

くわしい情報はこちら

2015/03/29

マンダラー祝い

赤山喜介さんのマンダラー祝いの泡盛。
赤山喜介さんは、顔の色つやもよくてつい最近までバイクを乗り回すスーパー高齢者。
長生きする人は違うみんなはと言ってます。

沖縄本島では、97歳の祝いをカジマヤーというのですが、竹富ではマンダラー。
赤山喜介さんは、途中から赤山喜介になったこと、赤山家の知る人ぞ知る赤山家ことハーヤーについて睦美会の会長からこれをいただいたときにひとことありました。

赤山家について詳しくは、今号(4月1日発行第三号)のメルマガに書きました。

2015/02/18

竹が富んでないのに竹富島

竹富島ってなんで「竹富島」という名前なのか最近まで知らなかった。
竹富島のことを方言で「てーどん」という。
もともとは、                  
 た  き  ど  ぬ
達奇度奴
たき どん
武 富
てぃーどん
竹 富
という経緯をたどって「竹富島」となったそうだ。
「達奇度奴」とは沖縄の古い文献に記されていたそうだ。
 
 

2015/02/11

竹富方言辞典




菊池寛賞を受賞した「竹富方言辞典」の著者の前新透(まえあらとおる)氏は、遠縁にあたる。

最近まで、前新透氏のことなど全然知らなかった。
父のものを整理していると、前新透先生と奥様あてに父が書いた手紙の下書きがでてきた。
父が前新透先生からおそわった今ではあまり使われなくなった方言とか、東京竹富郷友会の会長選出の裏話などが書いてあった。
父は、どうやら前新透先生の影響で郷土「竹富島」の民族文化的なことについて研究することになったらしい。

2014/12/12

安里やユンタの子孫

祖母の屋敷(祖母の生家)を見るために歩いていると草を刈っている人に呼び止められた
この人は安里やユンタのクヤマの子孫らしく、若い時、戦争中は士官学校から広島江田島にいて潜水艦の方の特攻隊だった。終戦で捕虜から日本に戻ったとのこと。

ここが、琉球王府からクヤマに与えられた畑。けっこうな広さだった。

長い間、東京で政府関係の仕事をしていて終えたのち、竹富島に戻て草が生えて道なき道となっていたところをこのような道を作ったそうだ。

竹富島は、一家の長男はそのまま居て嫁を迎える。でも次男以降は、家を出て分家して家を建てる。

長男が継いだ本家。本家から出て、本家の前に家を建てると前〇〇という姓をつくったり、屋号にしたりする。
本家の前なら前〇〇。
本家の後なら後〇〇(後ろは、「シー」)
西側なら入〇〇か、西〇〇(日が西に沈むから西を入りとか、イルとかイと読んだりする)
東側なら東〇〇(日が上がってくるので東は、アイとか読んだりする)

この子孫の方は、ていどん(竹富島の人という意)が戻てきて分家したときのために地ならしや土台つくりなどの土地の整備をしているそうだ。


竹富島で感じるのは、みんなが島を愛していて、そして互いを思いやっている姿勢を崩さないことだ。