美崎と書いて島の人は、ミシャシと言っている。
この奥は、旅に出る人や戦争に行く前にお拝んでもらう御嶽。
昔、私はここで拝んでもらっただはず。
昔、大正時代の頃は、ここに桟橋があったそうだ。今現在使っている港よりもいくらか石垣港へ近そうな気もしないでもない。
行った日は、満月の翌日の一時頃で潮が引いていて岩が見えていた。
ぽつんと上を向いているような小さな岩石は人の想いが岩になってしまったという。
八重山は、石化伝説が多い。
とにかく、沖縄はとくに八重山、竹富なんてなんもなくて、ただ海しかない!ようなところなわけで・・・。
だから明治時代になって人頭税が解けて島間移動が自由になったり学校教育がはじまり、石垣へ台湾へ沖縄本島や本土へ行くようになっていたんだろう。
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