2016/06/14

家系図

嘉善姓の系図
 大山門中系図
大家と宮良家の系図

大家の系図を書かれた大谷用次さん

大家は、大谷用次さんの代から大谷に改名しています。

この他、慶来慶田城の錦芳氏(きんぽううじ)の系図があります。

私は見たことがありませんがけっこうスゴイと聞いているのが黒島家の系図があります。

大山門中は、大山は役職をぺーちんという位をいただいたらしい。
大山には10名ほどの女性との間に子供が出来た。そのため竹富島には大山の子孫が多い。
あとは、玉城次良。
あとは与那国家が位をもらったりしているので役職を務め、その子孫たちはみな優秀で琉大の先生等をしているほどだという。
竹富島で平民から役職「ちくどん」と「ぺーちん」の位をいただいているのは、
*大山
*与那国
*請盛
の三家しかいない。
と、球陽に載っていたそうだ
こちらが球陽
と、現沖縄国際大学の教授狩俣恵一さんから伺いました。

2016/06/13

東京竹富郷友会第91回③総会後の懇親会から

第89~90回瀬戸克会長あいさつ
役員の方々ありがとうございました。
ようやくお疲れさまの一杯。
司会進行された大さん
竹富公民館長上勢頭篤さん
竹富島のコンドイ浜に本土の企業による
新たな宿泊施設建設反対問題!
竹富島は、いなし(方言:石垣島)から
毎日一日500tのみじ(方言:水)をわけてもらっている。
通常一日350tだが夏など消費量が多い時は400tになる。
現時点もよろくがそんなにないので、
これ以上宿泊施設が増えることや、
私たちのコンドイ浜の景観が変わってしまうことは
絶対に受け入れられないので県庁やら付随する役所等々に
掛け合うこと奔走している!と。
 大阪から登場!東さん。
大阪はていどんの人が少なく
郷友会を執り行おうとしても5名きりしかいないので
他の八重山の郷友会にくっついてやる現状とのこと。
東京竹富郷友会初の女性で会長になった富野芳江さん
 与那国島出身、竹富郷友会員として存在感ある入澤紀さん
 監査役前新康千代さん
富本栄氏より
あいさつと歌、動画
 動画の歌は「ぬちがふゆんた」
 今回の東京竹富郷友会第91回のご案内
 今回の郷友会資料。
冊子制作が間に合わず急きょ印刷された
議案書と芸能演目プログラム等

 代議員制の会則改定について

 今回、ぎりぎりまでたいへんだったそうです。
役員はニューフェイスたち。
90周年記念という大事業や、
直前になって役員のご家族の不幸が続いた。




2016/06/12

東京竹富郷友会②、代議員制度の会則改定

2016.6.5に開かれた第91回の東京竹富郷友会総会で出された議案です。
会員の総会参加の減少。全体的に高齢化・二世三世の世襲されない現状。
島出身者の未会入なのに島出身外の竹富ファンの会員増という現時点。
等々から代議員制の導入をはじめとした会運営を少しずつ更新していくようなことが発表された。
木下さん、御年90歳!
来賓の他の八重山の郷友会・県人会長の紹介とあいさつが続く
世曳きに子供が4人という!新スタイル?
鷲の鳥
じゅんさーみー




しきた盆
シーザー踊り(ぶどり)
有志ダンス
大阪在住東さんによる即興三線演奏


2016/06/11

第91回東京竹富郷友会総会

第91回東京竹富郷友会が、2016.6.5(日)
國學院大學たまプラーザキャンパス若木21にて行われました。
大石直美さんによる開会あいさつ
総会スタートになってもガラガラだった。
一同、「東京竹富郷友会、会歌」を歌う
 竹富島ファンの方
瀬戸克会長のあいさつ
市村高也さん
かんぱ~い!
弁当
第二部余興のはじまり
 まみどー

 ここ最近のなかで一番来場数が少なかったようにみえます。
会員の高齢化と死亡により脱会者等々という悲しい現実があります。






2016/03/16

睦美会50周年記念祝賀会

こちらの記事は「竹富島学習」よりの転載です。
東京の浅草ビューホテルにて、東京竹富睦美会の50周年祝賀会。





今回、歌を披露してくださった盲目の歌手中村遼さんのご子息が浅草ビューホテルにお勤めということで会場として使わせていただきました。ありがとうございました。




 長年会員の表彰。





睦美会会員で竹富島出身初の歌手前浜みどりさん「真夏の出来事」を華麗に披露!






みなさんへお配りした案内状
プログラム。



お土産の記念グラス。

明治の中頃まで竹富島の人々は、人頭税のため島間移動は自由にできなかった。
丁度同時期に台湾が日本統治となり、人頭税が解かれ納税方法も物納から現金納税に変わった。そして教育制度がはじまり、追って徴兵制度とこの頃に大きく竹富島社会が変わった。
その当時、石垣島次いで沖縄本島、そして多くの人が台湾へ渡った。
東京へ行った者で後に台湾へ渡り竹富島に戻った崎山用枝が東京竹富郷友会を立ち上げる。続々とていどんが上京。
太平洋戦争が終わり戦後の混乱がおさまった頃東京在住の有志で60歳をメドに年寄り会として睦美会は世田谷区の内盛唯夫宅で始まった。

竹富出身者の軌跡を追ってみると、昭和39年のオリンピックの頃、またひとつ階段を上った。起業したり、沖縄の芸能としてNHKに出演したりと。
睦美会は沖縄系の小さな頼母子講。
沖縄社会ではあたりまえにある模合。
沖縄の関係社会は、日本統治時代の南洋でも広く行われていた。
東京で50年続いている沖縄系の会は、おそらく睦美会が一番長いのではないか。