2016/11/09

2016,種子取祭

2016年種子取祭り始まりました!
今年は11月4日、5日。
種子取り祭は10,11月中の庚寅(かのえとら)の日、辛卯(かのとう)の日にあたる日に奉納芸能が行われる。
種子取り祭りは、芸能を神に奉納する。神に観せるためのものなので一番よく鑑賞できる席に神様を祀っている。

 庭の芸能がはじまる。世持御嶽(よもちうたき)前の広場が庭の芸能の会場となる
芸能を鑑賞する一般観光客は両脇の見やすい場所を陣取る!
 公民館長、集落の主事宅を訪問し島の神示を司どる神司(かみつかさ:つかさ)をはじめに入場するところから種子取祭の芸能がはじまる。
 女性たちの行列
男女に別れ「♪ソイソイソイソイ」と声だしながら手踊りし両者は離れながら
「♪ヒヤ、(ドン:銅鑼)ヒヤ(ドン)」と手踊りしながら接近する
これを二、三回繰り返す。
庭の芸能の「棒」にうつる、ボラ吹く、太鼓、銅鑼の四人が立ち並ぶ
棒、大きな槍、カマ、などなどの武器の芸能小道具を使っての演技
私は、カマのファンなので、いつもカマの演技ばかり見入ってしまう~♡
 太鼓、小学生と中学生と学校教師の男子たちによる太鼓
太鼓で鐘を打つ男の子。かわいい顔で声もかわっ!
 働き者女性という意味の「まみどーま」
十人の女性の踊り(十人くらいで踊る)「 じっちゅ」
 「真栄(まざかい)」
 「祝い種子取り」
「祝い種子取り」
祝い種子取(いわいたねとり)は、ユークイの道歌(歌いながら庭の芸能の入場のときに歌った「道歌」)、安里屋ユンタ、クイチャーの三部構成。農耕を行う島人たちの歌と踊り。
「 腕棒(うりぼう)」女性同士の腕をつかった戦い
馬乗者(うまぬしゃ)
大人が真面目に馬をかたどったものをお腹に巻いて踊る

庭での芸能はここまで。
一日目の庚寅の玻座真村からの芸能、二日目の辛卯の仲筋村の芸能と両日ともほぼ同じ。
高校生は学校を休んで出演した場合は出席扱いになる。


2016/10/24

姉妹ブログ引越しからの転載

以下は、一年ほど前に作りましたブログ「竹富島学習」を解体にあたってこちらに移した記事です。

ブログ移転と本格的始動のおしらせ

なんとなく作って放置状態だったこのサイトですが、移転が決まりました。
どういうことかと申しますと・・・
これまでブログを放置していたのは、細々とやっている仕事が徐々に忙しくなってきて、認知症で介護されている父の持ち物の整理に明け暮れ、次々と会う方、行事等に追われるようになりました。

サイトを移転する理由は、あっちもこっちも分散していたサイト運営・行動を一本化していく先行きのメドがたってきたからです。
まずは父の持ち物の整理のメドがついたこと。
竹富島の方向性と事情が見えてきたことです。

まず、「まいうきうり」というのは、祖母の実家の竹富島風の読み方です。
前請盛(まえうけもり)といいます。
この姓を名乗ってらっしゃる方は現在、日本全国で数件だと思います。
でも、本家が私が受け継ぐことになった土地の前請盛家(まいうきうりや)なわけです。
沖縄国際大学の民俗学の教授で竹富島出身の狩俣恵一さんにお会いした時に
「前請盛」は、「請盛(うけもり)」を調べないと前請盛はわからんさーと言われたことから本土関東に在住の請盛姓の方お二人に会って来ました。
そこで昭和の初めに上京した請盛さんと、台湾に渡り満州へ行き終戦後上京した請盛さんのお二人に請盛家についてうかがうことができました。
詳しいことや今後の流れ等は以前から書いておりましたブログ竹富島三世と、今お伝えしています
新ブログのまいうきうり計画にて進展を書いていきます。
主にまいうきうり計画では、沖縄の離島への移住・雇用促進への動きとしてのデュアル生活や離島移住に際しての情報や島の人が島の血筋の人意外にはあまり語らない点も交えて書いていくつもりです。
こんな記事を目にしました。
これは島外部の方が書かれた記事です。
とにかく外側からしか見ることができないからです。
島では、土地は売ってはいけない規則になっています。
ところが・・・持ち主はほとんど沖縄本島・東京へ行ってしまっていますが、土地の所有権は手放していません。
これが答えです。
ま、もし島の土地を全部売って島の人が離れていってしまったら、竹富島は、ただの物体です。
外部の人は島だけに魅了されているのではなくて島の人に魅力を感じ、さらに文化におもしろみを感じているのです。人ありき、昔の竹富の文化ありきなのです。
私は、国が力を入れている地方創生事業にこの竹富島を積極的に向けていく活動をすることにしました。
ただ、島を売るのではなく、島は魂ですから、魂を守るような取り組みです。
それを以後、竹富島三世まいうきうり計画に書いていこうと思います。よろしくお願いします。

2016/08/27

「たけとみ」届く

2016/07/06

家系の流れを追って

私が竹富島の先祖の家系を辿っていることで家系図を見せてくださる方のところへ伺った。
そこで目にしたのは東玉盛家と与那国家(マイユニュンヤ)のものだった。



このパンフと小冊子は全部読むこと、写させていただくことはできなかった。
が、こういうものが作られたという事実は確認できた。


2016/06/14

家系図

嘉善姓の系図
 大山門中系図
大家と宮良家の系図

大家の系図を書かれた大谷用次さん

大家は、大谷用次さんの代から大谷に改名しています。

この他、慶来慶田城の錦芳氏(きんぽううじ)の系図があります。

私は見たことがありませんがけっこうスゴイと聞いているのが黒島家の系図があります。

大山門中は、大山は役職をぺーちんという位をいただいたらしい。
大山には10名ほどの女性との間に子供が出来た。そのため竹富島には大山の子孫が多い。
あとは、玉城次良。
あとは与那国家が位をもらったりしているので役職を務め、その子孫たちはみな優秀で琉大の先生等をしているほどだという。
竹富島で平民から役職「ちくどん」と「ぺーちん」の位をいただいているのは、
*大山
*与那国
*請盛
の三家しかいない。
と、球陽に載っていたそうだ
こちらが球陽
と、現沖縄国際大学の教授狩俣恵一さんから伺いました。

2016/06/13

東京竹富郷友会第91回③総会後の懇親会から

第89~90回瀬戸克会長あいさつ
役員の方々ありがとうございました。
ようやくお疲れさまの一杯。
司会進行された大さん
竹富公民館長上勢頭篤さん
竹富島のコンドイ浜に本土の企業による
新たな宿泊施設建設反対問題!
竹富島は、いなし(方言:石垣島)から
毎日一日500tのみじ(方言:水)をわけてもらっている。
通常一日350tだが夏など消費量が多い時は400tになる。
現時点もよろくがそんなにないので、
これ以上宿泊施設が増えることや、
私たちのコンドイ浜の景観が変わってしまうことは
絶対に受け入れられないので県庁やら付随する役所等々に
掛け合うこと奔走している!と。
 大阪から登場!東さん。
大阪はていどんの人が少なく
郷友会を執り行おうとしても5名きりしかいないので
他の八重山の郷友会にくっついてやる現状とのこと。
東京竹富郷友会初の女性で会長になった富野芳江さん
 与那国島出身、竹富郷友会員として存在感ある入澤紀さん
 監査役前新康千代さん
富本栄氏より
あいさつと歌、動画
 動画の歌は「ぬちがふゆんた」
 今回の東京竹富郷友会第91回のご案内
 今回の郷友会資料。
冊子制作が間に合わず急きょ印刷された
議案書と芸能演目プログラム等

 代議員制の会則改定について

 今回、ぎりぎりまでたいへんだったそうです。
役員はニューフェイスたち。
90周年記念という大事業や、
直前になって役員のご家族の不幸が続いた。